小説を書く為には、まず何をすればよいかということについて考えた。
ひとつは、辛抱強さを持つこと。そしてもうひとつは、最初に挙げた項目を完全に無視してしまうことだ。
これらは括弧にくるまれてしまう。小説の書き方。まず一人称を選ぶこと。キャラクターを作って走らせること。プロットをきちんと作ること。それだけでずいぶんと書きやすさが変わってくるはずだ。小説を書けない人間の小説については、腐るほど出版されて来ている。そうなると、腐るほど出版されないまま放り投げられている小説もどきも沢山あるというのは想像に難くない。
書くのが怖いのであれば、書かなければいい。書斎に入らず、原稿用紙の前に立たず、パソコンはインターネットのためだけに利用し、とにかく一篇書いてみろという脅しに負けないように、決して一生に一篇の小説も書かないままに過ごすこと。これが私に与えられた使命ではないかとさえ思えてくる。
そうしてその他諸々の決してやらなくてはならないことに捕まえられ、いい具合にほだされれば、小説について考える必要も無くなり、堅実な生活を送ることができる。果たして、私はこのような生活を手に入れた。
これらは括弧にくるまれてしまう。それまでの間しばし楽しんでいる。誰が楽しんでいるのだろうか。
ところで、今まで書いてみた所で、私はいったい何を書きたいのかについて、考える必要があっただろう。小説を書いたからといって、それは人に見せるべきものなのか、そうでないものなのか、正直言ってわからない。伝えたいものは何一つ無いのか、と問われれば、伝えたいことがあるのであればとっくの昔に書いているだろうと答える。しかし今まで書いてこなかったのだから、要するに、書きたいものは無くて、ただ小説を書いている自分を欲しているだけなのではないか。身も蓋もない言葉だが、そう自問することはままあった。小説を書いて、それを出版している自分。それは小説でなければならなかったのだろうか? 既に、他のことで代替できているのではないか? 小説なんか、要らないのではないか? そんなことはあるまい、というなら、それはどうしてそう言えるのか?
特筆すべきなのは、小説を書くことを欲しつつもそれを後回しにしてきたことだ。愚かですよね? これまで何もやってこなかったに等しい、ゼロに限りなく近い状況がここにあるではないか。
要は書きたくないのだ。小説なんてものは。時々、思い出したかのように短い文章をものにし、時々反応があったら、それについては嬉々として平気で三十分以上の時間をかける。ああ、こんなに大変なら、何も書くんじゃなかった、と思うだろう。そうして、こういう性分だから、と自分を落ち着けるだけにする。
何かネタでも無いのか? そりゃあるさ、しかし、何分忙しいし、噂とかをされると恥ずかしい。それにまだ生半可な知識しか持たないので、今は力を蓄えている最中なんですね。
Debug Saltlake Again.
February 22, 2010
OmmWriter #1