後悔するのは、自慢めいた言葉を吐いた後だ。嫌な気分になるのは、自慢めいた言葉を聞いた後だ。であれば、自慢めいた言葉そのものに対して、過剰に反応していることについて疑ってみたい。
自分が最もやりたくないことは、人を哀れむことだろう。この人はかわいそうである、といった完全な優越感ゲームの再構築が行われることについての違和感がある。それは、自分がそう思われたくないが、自分は哀れまれる存在かもしれない、それが怖いという気持ちの裏返しであることは論をまたない。哀れまれたくない。どうすればよいのか。
完全な解決は無いように思える。
ただ過剰に反応しなければよいのだが、過剰とそうでないものの区別はどのようにして付けられるのか。
Debug Saltlake Again.
March 10, 2010